2011年11月14日月曜日

ベートーヴェンと岡本太郎。


お久しぶりです。加藤美和です。

先週の木曜日から祖父母の家に行っていました。
近所の方におすそ分けで頂いた「牛乳豆腐」












豆腐と言っていますが、味も食感もチーズです。
水抜き具合により各家庭で硬さが違うようです。
カッテージチーズのようにふわふわだったり、かちかちだったり。
お醤油をかけたり、フルーツソースをかけて食べるのは勿論、色々なお料理にも使えます。
こちらの地方では、お味噌汁の具にするんだとか。
ワインのお供にも良いですよ~。

海が近い場所なので、ホタテやニシンも沢山食べてきました。
ちょうど良いのが獲れたから、とのことでした。
どれだけ食べていても海産物に飽きることは無いですね!
北海道に住んでいて幸せだな~と思います(笑)


そして、祖父母の家から帰ってきたその足で、
PARCOで今日まで開催の「岡本太郎 顔は宇宙だ」展へ行って来ました。












最終日だったからでしょうか。
けっこう沢山の人が来ていました。



展示会を観た後、ふと岡本太郎とベートーヴェンがリンクしました。
何故かと言うと札幌に帰るバスの中、「題名のない音楽会」で
ベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」を放送しているのを観たからなのですが・・・。


この交響曲第3番「英雄」を聴くにあたってはいくつかポイントがあるのです。
テレビでは3つ挙げていました。

全ては時代背景が大きく関わっています。
一つは、この曲でベートーヴェンは「アルチザン」から「アーティスト」になったこと。
「アルチザン」とはいわゆる職人のことで、前代から技巧等を引き継いで作る者のことを言い、
 「アーティスト」とは新しいことを試みる者をいう。
当時はとても前衛的な曲だったようです。(あくまで聴衆がそう捉えたのでしょう。)

二つ目は忘れました(汗)

三つ目は、この曲以降、ベートーヴェンは貴族や教会の為の曲ではなく、
市民・民衆のために書いているということ。
これは良く知られていると思いますが、貴族相手では生活できなくなったからというのが
大きな理由ですね。



この曲を作る少し前頃から、ベートーヴェンの耳は聞こえが悪くなってきます。
そのことで相当自分自身と葛藤があったと伝えられています。
そんな葛藤を乗り越えた後に作ったのがこの交響曲なのです。

私にとってベートーヴェンは、バッハとラフマニノフに次いで好きな作曲家です。

予備知識がない状態で作品を感じることは大事な事でしょう。
ですが、背景を知ってから作品に触れることで、具体的なイマジネーションを描くことが
出来るのも素敵だなと思います。
「題名のない音楽会」。久々に観ましたが分かりやすく面白い解説で楽しめました。
青島さんが面白い。

クラシックに造詣が深くなくても、「題名のない~」の様な番組でしたら楽しく観られるでしょうね。
逆に知っている人にとっては、さっさと演奏聞かせて欲しいんだけど~ってなるのかな。




最後に。
大阪万博での岡本太郎のスピーチ。


はじめにわたしはこの万博のテーマに反対である。
人類と進歩と調和、なんてクソくらえだ。
人類は進歩なんかしていない。
確かに宇宙へ行く科学技術が発達したが
肝心の宇宙を感じる精神が失われてるじゃないか。

それに調和といったって、
日本の常識で言えば、お互いが譲り合うということだろ。
すこしづつ自分を殺して
譲り合うことでなれ合う調和なんて卑しい。

((記者質問)それでは、万博のプロデューサーを引き受けた理由はなんですか。)

危険だからだ。
人間は瞬間瞬間で自分の進むべき道を選ぶ。
その時私はいつだって、
まずいと判断する方、危険な方にかけることにしている。
極端な言い方をすれば、
おのれを滅びに導く、
というより、
自分を死に直面させる方向、
黒い道を選ぶということだ。

無難な道を選ぶくらいなら、
わたしは、生きる死を選ぶ。
それが、わたしの生き方と筋だ。




筋の通った生き方をしている人はカッコいい。
岡本太郎曰く、「徹底的に相手とぶつかり合って、結果、互いを認め合ったところに成り立つのが調和だ」と。




今日も最後までお付き合いいただきありがとうございます。
明日もあなたにとって素敵な一日でありますように。

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